牛の恋愛コラム:カテゴリー
恋愛の美学
恋とは病かというほど、自分の理性だけでコントロール出来ない部分ってありますよね。自分ではコントロール出来ないから「病」とか昔からいうのでしょうね。
男は女に惚れ、女は男に惚れる。永代の昔から、この法則というかDNAの信号が変わってないのが考えればこれまた不思議。
恋というのは、行き着くところなんじゃらほい、と考えれば「お互いが一つになりたい」という気持ちなんじゃないですか。
はじめ離れていたのが、近づきたい。近づきたいという思いから、相手に触れたい。相手に触れたら、出来るだけ一体となりたい。と思う心の動きが恋愛ではないですかい?
一つになりたいという欲望が、セックスしたいということになるのですな。
違う見方をすれば「恋」とは、相手のすべてを知りたいと思う欲望。どんな些細なことでも知りたい、見たい、確かめたい。
そういう要素があるからえてして「恋」は「ゲーム」に例えられる。ゲームは出来ない時が一番集中し、手放せなくなる。でも一旦最後まで出来てしまうと、手放し、また次ぎの出来ないゲームに挑戦する。
これって、結構男性の恋愛に似ている。
女性はどうかというと、男性のパターンに似ている人もいるけど少し違うかな。女の子の好きな遊びは着せ替え人形。同じ人形に違う服を着せ替えては、それを楽しむ。見てれば、同じことを毎日してても飽きないのね。
それって大人になった女性でも、恋愛で同じようなことをしているのかもしれませんね。同じ相手と毎日食事して、同じような会話をして、同じように自分を愛してくれたら安心して満足、みたいな。
まあいろんなパターンがあるけど「恋」というのは、かなり盲目的なことがあるのは確かですな。
僕も20代の頃は、好きになった女の子はどんなことをしても手に入れたい方だった。だからかなり無茶もしたもんだわさ。成功もしたけど、失敗も随分しましたな。
そうこうしてて30代になった時「恋愛の達人」ちゅうものは、どんなだろうと考えた。いろいろ考えた末に出した答えは「やってもやらなくてもその関係を楽しめる人」という結論に相成った。
まあカッコよく言ってみれば僕なりの「恋愛の美学」ですな。
「やってもやらなくてもその関係を楽しめる人」というのは、やはり色んな恋愛体験を踏まないと到達出来ない境地だと思う。
「やっても」というのは、もちろん深い関係になってもということで分り易い。「やらなくても」というのが、これまた難しいのですな。
好きになったら当然男でも女でも相手とやりたいのですよ。どういったってワタシたちは仙人や神様じゃないので、動物的本能があるからね。
その上でも「やらずしてその関係を楽しむ」とはこれ如何に?
想像して楽しむことですよ。これを僕が発見した時は、まさにコロンブスの卵の境地のごとく自分で感動しましたね。
実は「想像して楽しむ」ということは、それを現実にしない間はいつまでも楽しめるということなのです。この方が雄大なのですね。
そしてそれを理論だけでなく、自然に実践して楽しむ境地に達した人が僕は「恋愛の達人」なんじゃないかと考えているわけです。
欲しいものを我慢して、それを手に入れた時のことを考える訳ですから、そこには多少なりとものヤセ我慢が必要になるわけです。そのヤセ我慢も必死ではなく、あくまでも心の余裕を持って楽しむ。
「美学」とは、そこにある程度のヤセ我慢が必要なんだとも思いますね。
牛流「恋愛の美学」でした。
女性の美に関する男としての本音
なんか今回のタイトルは学術論文みたいになっちゃたけど、今回の内容はあまり普段男側からは面と向かって言えないことを僕が男性陣を代表して、この際言おうかなと思うわけです。少々勇気がいりますね。(^^;
きっとあなたの周囲の男性たちでも、女性のファンションやルックスを自分からあまり話題に出す人って少ないと思うのね。
でもね、やっぱり男性の一番興味ある対象は女性なわけですよ。その女性が身につけているファッションだとかルックスやその人が持ってる美的センスに全然無関心な人ってのはほんとうはいないのですよ。
とくにあなた(女性)の身の側にいる男性ってのは、絶対なにがしかのあなたへの感想を持ってるわけですよ。
じゃあ、なぜそんなことを話題にしないの?と思いでしょうが、これはなかなか心境複雑なものがありまして、そうそう言えたものじゃないってのが男側の本音だね。
まあ、僕の場合は比較的にそういうことも平気で言えるわけですが、僕以外のナイーブな男性はあえてそういう女性のオシャレみたいなジャンルにはあえて立ち入らないと思います。
その理由ななぜか?
まずは、おっかないから。
ヘタなことを言えば、その自分の意見に対する彼女達の反撃を恐れるあまり言えないのが実情ですわ。
やはり「美」とか「オシャレ」とか「美的センス」というものは、女性特有の特権であり得意分野だと男たちはある程度認めているわけなのです。
「美しさ」という点では、男は逆立ちしようがケンケンで走ろうが、絶対女性には勝てないように出来ているからです。
「美を追求する女性」って言ったら、全然不思議じゃないけどこれが「美を求める男」っていったら「あんたオカマけ?」なんて言われそう。
だからね「美しい」ってのは、概ね女性のみに与えられた言葉なわけですよ。もちろん男性でもきれいな人っていますが、それはここでは例外的に扱わせて貰いますね。
だから男としては「美」というジャンルでは、女性には勝とうとも思わないし、それを論じても走る前から「ハイ、あなたの方が一着ね。どうぞ」みたいな無条件敗北的な心境でいるわけです。
そういうスタートラインが違うものなので、女性のオシャレなどの話題には立ち入るものじゃない、と防衛本能が避けている部分があるのね。
だから見た目には男というものは、女性のオシャレだとか服装などに全然無頓着だと思われがちなのです。
でもね、男も一応人間ですので、見たり聞いたりしたらそれなりの感想を抱くわけだし、それを見て「俺はこう思うけどな・・・」みたいなことも内心にはあるわけですよ。
でも言い出せない。
何回も言いますが、恐いから。
でも男性でもみんながみんな「美」に関してドン臭く、センスがないわけじゃない。男性でも「美」に関しては、凄くセンスの良い人もいます。
と、言うより専門的になれば男性の方がセンス良いのかもしれませんよ。なぜなら、女性のヘヤーカットをする美容師は断然男性の方が多いし、女性服をデザインするデザイナーも男性の方が多いのです。
そう考えると、我々男性が見るセンスのレベルっていうのも一方的に女性の方からバカにされることもないじゃん、と思ったりもします。
僕も自分で言うのもなんですが、そうセンスが無いってこともないと思います。これまで仕事柄、芸能界や舞台の演出の仕事もしてきましたのでトップクラスの女性達を目の当たりにしてきたわけです。
映画もたくさん観てますので、女性を見る目というのはある程度出来ていると思うのですね。
少しは自信あるのですが、やはり隣の女の子に「ちょっとあんたのセンス、そこがおかしいよ」とは言えませんなあ。
やっぱり、言ったあと睨まれるんじゃないかと思ったりしますよ。
だから、自分の方から滅多に切り込むことはありません。しいていえば良い点を褒めるだけくらいかな。
だからね、オシャレに全く興味なさそうにしているあなたの周囲にいる男性でもしっかりあなたの美的センスは見ているのですよ。
なぜそうも見るのかと言いますと、これは男性すべての願望であり祈りに近いものなのですが、、、
女性には綺麗でいて欲しい!
からです。
至極簡単。
これに反論する男性はまずはいまい。
それほど、世の男性のすべては女性に美しくあって欲しいのです。
だからね女性の中でもあまりに女性を捨てたような身恰好をしていて「わたしは、オシャレなんか興味ないわ」という女性がいれば、無性に腹が立つわけですよ。
それはその人だけに腹が立つという以上に、自分たちの夢を打ち砕かれたような怒りに近いといえばオーバーかもしれませんが「ああ、なんということを!」みたいな心境にさえなってしまいます。
だからね、再度言いますが女性が美しくあることは、当人たちはもちろん、すべての男性も思うことなのです。それを総括すると、地球上の全人類の願いなわけなのです。
「でも、わたしはもう若くないしダメよ」と思っているそこの人!
それじゃダメダメ。
女性というのは、何歳になろうとも「美しくありたい」という強い意思がある限り、凛とした美貌を保てるものなのですよ。
20代には20代の若さの美しさがあります。
30代には20代に出せなかった美しさが出せるようになります。
40代には、その人が背負って来た人生の美しさが出せるようになります。けっして若い時には出せなかった魅力です。言ってみればカッコいい美しさです。
女性はただ美しいのが魅力なわけじゃなく、美しくあろうとしている人がとても魅力的だと思うのです。
そういう美しく在り続けようとしている人は、必ず自分の方法論と強いポリシーを持ち合わせています。
"自分の方法論"と"強いポリシー"というのは、その人の"在り方"なわけです。難しく言えば哲学ですね。そういうものを持っている人は、絶対内から輝く美しさがあるんだよ。
でもね、それをすべて女性に任せていればいいかと言えば違うのね。
女性を美しくする手助けは、男性にしか出来ないの。
そもそもなぜ女性が美しくあろうとするのか。それは種の起源的な考え方をすれば良い男性(精子)を得るためなのですわ。
そのために、女性は並々ならぬ努力をしているわけですね。
だから男性は、そういう女性のサポートをしてあげなければならないの。でも、今はそういうことを分っていない男性も多すぎるのですよ。
男性で言えばね、今よりも少しだけ勇気を出して女性に気を使ってあげればいいのです。
「気を使う」ってのはどういうことなのかと言えばね、相手のことを良く見てあげるのよ。普段から。
そうするといつもと違った服を着てきたりとか、髪を少し染めたなとか、これまでと違う靴を履き出したので何か心境の変化があったのかな。みたいなことに気がつくのね。
後は、思ったことを素直に伝えてあげればいいのよ。
そうすると、変化した女性も「あ、この人気がついてくれたんだ」と思って、自分が努力したことが実ったと嬉しくなるわけですよ。そうすればお互いが気持ちよくなります。
だから男で大切なのは、相手をよ?く見てあげる優しさなんだよ。
女性に対する優しさと言えば、何か荷物を持ってあげたり、ドアを開けてあげたり、マメにメールするだけじゃないんだよ。いつも相手を良く見てあげて、適切な時に適切な言葉を投げかけてあげることなんだよ。
女性もいろいろと努力しているんだから、男性も少しはそういうところで応援してあげてもいいと思いますよ。
それともうひとつ、女性は自分を見られる場所に進んで出て行くことですよ。
女性は不思議と見られることで、断然に綺麗になっていきますからね。まあ女性の中にあるホルモンだとか、美に関するDNAにスイッチが入るとか色々理由はあるのでしょうが、これは間違いありません。
以前僕のお店に来出した女性が、数ヶ月もしないうちにとても綺麗になった、なんて数え上げれないほどいましたから。実証済みです。
女性は周囲の視線をシャワーのように浴びてきれいになる。
これの逆が結婚して、家に入ったとたんフケてしまい、以前の見る影も無い、という人もいますわな。
誰に見られるでもなくなったので、美に関するDNAのスイッチがOFFになってしまったのです。
女性が美しくあって欲しいのは、女性も男性もすべての願いなわけです。そして女性を美しくするのは、女性本人の意思があり、男性のサポートを得られたときです。
心許せる男女のなにがしかのパートナーのいる方、今後これを試してみて下さい。その女性の方が、今以上に美しくなる簡単な方法です。
男性がまず会った時、
「今日もきれいだね」
と、女性に言ってあげる。
その言葉を受けた女性は、
「ありがとう♪」
と言って、最高の微笑を返してあげて下さい。
これをただ毎日繰り返すだけで、効果はてきめんですよ。
みんな、おきれいに!
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恋する感性
「恋っていうのは、するものじゃなくて、落ちるものなのよ」
って言ったのは小説家の江國香織(えくにかおり)さんっていう人なんだよ。江國香織さんは、今若い女性にとても人気のある本をたくさん出してるね。まだ読んだことがない人は、とても読みやすいので読んでみたらいいいと思うよ。
冒頭に上げた一節「恋っていうものは、するもんじゃなくて、落ちるものなのよ」が「あぁ、わかるなあ」と心に染み入る人はね、恋愛をよく知ってる人ね。
「へ?、そうなんだ」と感じた人は、まだまだ本当の恋というものをしたことがない人だと思うよ。
したくないと思っても落ちてしまうのが恋なんだ、と。その言葉は、もう、見事に、人間というものを、よく表しているね。さすが流行作家ってところだね。
そう「恋」とは本来「する」という能動的なものじゃなくて、「落ちて」しまったと感じるものだと思うよ。
だからこそ、どうしょうもないやるせなさや切なさが伴うんだろうね。
でもね、僕も長い間人に「出会い」を提供する仕事をしてきて思うんだけど、最近は恋に「落ちる」ということよりも、恋を「する」ことを選ぶ人が多くなってきてるような感じがするのね。
それはなぜなんだろうね。
思うに、それは男も女も自分で考えるということをしなくなっちゃったからじゃないかと思うね。
彼女、彼氏が欲しいと思えばどうするかと言えば、近年ではまず「出会いサイト」なるものが浮かぶよね。または結婚紹介所に登録する人の数も多くなってきてるんだよ。
誰かに頼ったり、誰かにすべてを「して貰おう」とするんだよ。自分で考えてなんとかしよう、という人が少なくなってきたように思う。
別に誰かを頼るということは悪いことじゃないんだけど、創意工夫までしなくなっちゃったんだよ。
良い恋をしたいと思えば、まずは自分を磨かないといけないのね。そうしなくては良い男もイイ女も手に入らないんだよ。
魅力的でキラキラしていないと、異性は近寄って来ないよ。
でも、そういうことすら知らない人が多くなってきているね。自分のことは棚に上げておいて、付き合いたい相手の条件ばかり上げてるよ。
それじゃいくらたったって、理想の人とは結ばれないよ。
それに気づかないと。
時代が進み、今はとても便利な時代になってるよ。欲しい情報はTVでも雑誌でもインターネットでも、どんどん入る。無駄なことがどんどん省かれていく時代になってるんだね。
でもね、生身の人間を磨く作業っていうのは結構無駄なことをやったり、余計な知識を身につけた後に出て来る気がするのは僕だけかな?
付き合いたい人の条件は、相手の外見だとか、年収だとか、仕事だとか、目に見える部分を並べる人が多いけど、人が「恋に落ちる」というのは、そういう目に見える部分じゃないんだと思うんだよ。
なんて言うのかな、男側見れば、さほど美人っていう子じゃなくても、その子が何気にした失敗を恥ずかしそうにした表情とか、二人で食べ終わった食事をウエイトレスさんが後片付けしやすいように皿を重ねて並べるような仕草を見て「あ、いいなあ」と感じるんだよ。
僕は女性じゃないから、女性が男のどこを見て「恋に落ちる」のかは、実感として言えないけど、やっぱりそういう部分を見て「いいなあ」と思うこともあるんじゃないかな。
何気に出てしまう仕草だとか、クセというものにはその人のバックボーンが現れるのね。
大切なのは、それを見極める目だと思うんだよ。
見極める目というのは感性なんだよね。
今は、なんでもすぐに分る時代なので、想像力が欠けている人が多いと思うよ。表面的な部分だけを見て、判断してしまう。その奥にあるものや、それが「どうしてなのか」と考えない。
奥の深い考えや知識を持っている人は、とても魅力的なんだよ。でも、表面的なものしか見れない人には、そういう奥深いものを持っている人は判らない。
今の日本は、大きなことを言えば大人的な考えや大人の文化というものが希薄になってきてるのが一番の問題だとは思うけどね。
歌謡番組がジャリタレに占領されていてはダメなんだよ。若い歌手の歌を知らずにいて、会社の若い子らからバカにされて恥ずかしがっていてはダメなんだよね。
大人たちがもっと思慮深い考えで、大人の文化を創らないといけないのね。
恋もその国の文化に大いに影響されるからね。
今の恋の多くは子供の恋なんだよ。
だいたい男も女も40を過ぎれば「もう恋をする年でもない」とリタイアしてたらダメでしょ。人間40を過ぎた頃から、いい味が出て来るんだから。
借り物の恋じゃなく自分で見つける本物の恋をしようよ。
「固定概念」というのはね、常識に縛られすぎて自由な発想の出来ないことを言うのね。だからもう付き合いたい人を、見える条件を並べて言うのは止めようよ。
「好きなタイプな人はどんな人?」と聞かれたら、「そうだね、時間がない出掛けにでも、玄関に並んでいる靴を揃えようとする人」とか「春は香りじゃなく、春の匂いと表現する人」なんて答えれたら最高じゃないかな。
感性のある人なら、そういう答えを聞いても「わかるわかる」って答えるよ。
そうしたら、そういう会話を楽しめる人同士というのは結構気が合って、男女なら良い関係になれるかもね。
そういう言葉ではすぐに表現できない見えないものを、感じ取れたり伝え合えたり出来ることが大切なんだと思うよ。
どうかな?
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男の優しさ、女の優しさ
タイトルを一言で「優しさ」と言わず「男の優しさ」「女の優しさ」にあえて分けました。
その理由は、男と女というものは性別だけの違いだけではなく、考え方、物の捕らえ方にもそこには深い溝がいつになってもあるからだと思うからです。その埋め難いどうしようもない溝に、時に深い溜息と共に動かし難い徒労を感じたりもします。
ひとえに「優しさ」と言えども、男性が思う「優しさ」と女性が願う優しさの根本ははっきりと違います。
書き方により女性から賛同を得る書き方も、男性から「そうそう」と言われる書き方のどちらでも出来るのです。
物書きを生業としていた者は、事象をどこから見るかによって、肯定することも否定する書き方も出来ます。それが出来ないとメシの食い上げになるからです。それがプロというものなんです。
では今回はどうしましょう?
今回は本音で書こうと思います。
では、いつもは本音じゃなかったのか?と、突っ込まれそうですが、その辺りは微妙です。本音は本音でありましたが、まあ例えるのならみねうちみたいな表現を使ってましたね。
最近少し心の変化がありまして、これから表現する僕のメッセージは「本音」を主にしていこうと決めました。(その心の変化はまたどこかで書くとします)
さて、本題の「男の優しさ、女の優しさ」です。
僕の結論から言いますと「女性はともすれば具体的な行為にしか感応しない種族であって、次元の高い精神的な優しさを解ろうとしないことの方が多い」ということです。
これから考えますと、女性にモテようとするなら、より具体的に女性が喜ぶことを目に見える形でしてあげれば良い、ということになるのです。
今流行の「冬のソナタ」の中に登場する男性も、やはりとてもソフトであり女性を大切にします。それもとてもわかり易い形でです。このドラマの影響で、今では韓国の男性はとても女性に優しいという印象を与え、韓国男性の人気が高まっているようですね。
西欧には「レディーファースト」という伝統的なマナーがあります。
このレディーファーストというのも、まことわかり易い形に出来ています。
道を歩くときは、女性を安全な道路の内側に歩かせてあげる。ドアがあるなら男性がドアを開けて、女性を先に入れてあげる。車に女性を乗せてあげる時には、助手席のドアを開けてあげて乗せてあげるなどなど。。。
どれもとってもわかり易い形です。
しかし男のほんとうの優しさ(男側から思う)の多くは、すこぶる概念的な形となり現れるのです。そこには本当の意味で相手を尊重し、思いやりは内に秘め、密かな配慮と共に行われることが多いのですよ。
僕の経験した具体的な例を言います。
僕は20代の頃、女性と一緒に暮らしていました。当時僕は自分がなりたかった舞台監督という仕事をえて、大阪、名古屋、東京と年中劇場仕事をしていました。自分のなりたかった仕事に就けて、仕事自体が楽しいということももちろんありました。
ひとつの仕事を請け負うと、劇場は1ヶ月公演となります。その前の稽古期間を入れると地方では1ヶ月半ほどはその土地での泊まりの仕事となります。その間はまるまる家を空けるということになります。
好きな仕事ではありましたが、フリーな仕事なので出来るだけ僕に依頼が来る仕事はこなそうと思いました。サラリーマンではないので、保障がないからです。
そして少しでも稼いで、一緒に暮らしている彼女に多少なりとも多くのお金を渡してあげようと思っていたのも事実です。そしてその甲斐もあり、住む家や家財道具も少しずつ良くなりました。
僕はそれが彼女への優しさだと、自分では思っておりました。
でも、ダメだったのです。
彼女から見れば、僕は自分が好きな仕事だけをして、1年の多くも家に帰らず芸能界の綺麗な女性と毎日会ってる。二人の間にはコミニケーションがなく、自分はなんのために僕といるのかわからない。というのが、彼女が感じた最終的な気持ちだったのです。
そして彼女は僕の元から去っていきました。
その時に僕が学んだことは、より具体的に相手に与える優しさです。コミニケーションの大切さです。言葉の大切さです。
僕はそれを学び、女性から「優しい」と言われる男になりました。今もそう思ってくれる人は多くいると思います。
でも、その本質はいまだそうではないのです。
何が違うのかということですが、僕が思う「優しさ」と女性の多くが思う「優しさ」の本質的な違いがあるからです。
僕はその後も何人かの女性と一緒に暮らしましたが、そこでも最初に犯したと同じような展開で彼女達は僕の元を去っていきました。
簡単に僕を見ていると、何回ともなく同じ過ちを犯している。と見られることでしょうね。そう言われれば、確かにもっともなことなのです。
僕が思う極論を言いますと、女に誤解されて怒られても、懲りずにまた誤解されるのが男の優しさでありダンディズムであると思っているのです。言い方を替えるなら、繊細なる心配りで相手を立てて、その結果自分が泣いてもそれをよしと潔く思う。というのが男がする「優しさ」の本質ではなかろうか、と思うのです。
僕が思う「男の優しさ」とは、常にその裏側には「強さ」がないといけないと思うのです。
妻が出産の時、その夫も出産休暇をとるというのが最近では通常らしいですね。大企業なども、それを当たり前として認めています。出産の苦しみの時、夫はその妻のそばに居てあげるのが、優しさだというらしい。
僕の極論から言わせれば、これも「男の優しさ」とは言わないのです。
妻が出産し、二人の大事な子どもが出来るなら、やはり男は外に猟に出てそれまで以上の食料となる獲物を捕まえてくることにあるのではないかと思います。
やさしさという感じは「優」という漢字をあてます。「優」とは「劣」の逆です。つまり、優っている状態が「優しさ」なのであります。優っている状態というのは、言い換えれば強いのです。
だから、本当の優しさの前提には「力」が必要なのです。
力があるからこそ、弱い者も庇うことが出来て、自分が正しく思うことでもあえて自分の言葉を呑み、相手に謝ったり、相手を立ててあげることが出来るのではないでしょうか?
だから妻が陣痛の時、そばでオロオロしているのは男としての本当の優しさではないと思うのです。
本当の優しさとは、「安心して子どもは産め。後は俺に任せろ」と力強く言ってあげれることではないでしょうか?
しかし、こう書くと女性の人たちからは「出産期間くらい休んでもいいように、日頃から稼いでいれば何も問題はないのよ」と言われることも百も承知の上なのです。
事実は貴女達の言う通りなのですが、それはあくまでも一つの例えのニュアンスということで汲んでください。
それでもなおご立腹されます女性の方たちには、謹んでお詫び申し上げます。
(という判っていながらにして頭を下げる、というのが男の本当の優しさだと僕は思うのであります。。。)
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過去世からの縁 -時を越えた約束-
今回は恋愛話というより、もう少し深いところでのお話をしましょう。
僕のエセ日記の中にもよく書くことですが、人は生まれ変わりというものを繰り返し魂を磨いて成長しているものです。この考え方は「輪廻転生」と呼ばれており、日本よりもなぜかアメリカなどではごく当たり前の考えになっているようです。
人はどうして異性を好きになるという感情が湧き上がってくるのでしょうか?しかも一度好きになった感情というものは、自分ではどうしようもなくなり制御不可能な状態に陥ったりします。
「なぜ彼がそんなに好きなの?」
そう聞かれても、明確な答えは出ず「わからないけど、好きだから」と答えたことはないでしょうか?そう、明確な答えを探すのですが、その湧き上がる感情の答えを見つけることはほぼ無理なんですね。
でもそのどうしようもない感情というものは、間違いなく湧き上がってくるのです。この人がダメなので、じゃあの人、みたいに簡単に出来ない場合も多くあります。(出来る人も最近は多いのですが)
上手くいく恋ならまだしも、それが障害があったり相手との思惑が違い、実らぬ恋となれば喉を掻き毟るような気持ちにもなります。
この人(特に異性)を好きになる、という感情は一体なんなのでしょう?
僕も若い頃、自分の思い通りに好きな人と事が進まず、何度もこんな考えの中に迷ったりしました。
そうする中で、冒頭に書いた「輪廻転生」という考え方を知ったのです。人は何度も何度も生まれ変わりを繰り返しながら、この世に生まれて来てはその時その時の未解決のテーマを学ぶ。
そして、その「輪廻転生」を実証するデータの中に、仲の良い魂達はあるグループを作って生まれ変わりを繰り返している。というものがありました。
グループを作って生まれ変わっているのなら、今自分の周囲にいる人たちはすでに過去世において出会って、なんらかの関係を持っていた人たちです。
そう思えた時、何にでも興味を持つ僕は、実際僕の周囲の人たちとの縁を知りたくなりました。誰だってそうでしょうね。
そういう心の世界に興味を持ち出した頃、僕が習っていたものが「瞑想」でした。これも色々な方法で、瞑想を教えている人を全国から探し、東京の人からの情報で、神戸に瞑想を教えている女性がいるとの紹介を受けて探し求めた先生でした。
その先生は僕よりもかなり年下のチャーミングな女性でした。(なぜか、僕と深く関わる女性は天然な性格で、きれいな人が多い)そして、数年間その先生の元で、瞑想というものを習いました。
過去世という考え方は、この時この先生から教えて貰ったものです。
そしてこの瞑想の先生から、僕はあるチャネラーを紹介して貰いました。当時大阪市内に住む女性で、人の過去世をチャネリング出来る人なのです。
僕は人の縁を辿って、自分の持つ疑問の答えを探していたのです。
僕は未知なるものは死ぬほど好きな質(タチ)なので、すぐにこのチャネラーの女性を訪ねました。もう10年も前のことです。
このチャネラーの女性はMさんという人で、雑誌や広告媒体などでは一切PRをしていないという知る人ぞ知るみたいな方でした。
当時Mさんは、大阪市内の鶴橋というところのごく普通のマンションの一室に住んでいました。はじめはチャネラーとは、一体どんな人なんだろう、と思い色々想像しましたね。祈祷師みたいな仰々しい人なんだろうか、それとも西洋的に薄いベールみたいなドレスでも着てるのかいな。みたいにワクワクして行ったのを記憶しております。
しかし、あにはからんや出てきたのは僕と年が近いどこから見ても主婦みたいなにこやかな方でした。着てるものも、どうみても普通のトレーナーみたいなものを着てましたね。
そして部屋に入り通されたところは、普通のマンションのダイニングスペース。「は?ここですか?」みたいに意外に思ったものです。
そして室内で飼っておられるドデカイ犬(おとなしく人懐っこい)が、うろうろと見慣れぬ客の僕に尻尾を振って近づいてきます。Mさんもそれを注意することなく、にこやかに犬の名前を呼んだりしてました。
Mさんは対面の椅子に方膝立ての姿勢のような恰好で座り、ドンと大き目のCDカセットをテーブルに置きました。このCDカセットで2時間のリーディングを録音して、最後にそのテープをくれるのです。
そしていよいよ過去世のリーディングですわ。
リーディングは2時間という枠の中で、何人でも見てくれます。僕は事前に用意していた写真を次々と見てもらいました。
写真は概ね、これまで付き合ってきた女性が大半です。実は僕はこの写真の中に、少し意地悪な仕掛けをしていたのです。チャネリングなるものは、僕は生まれてはじめての体験です。それもリーディング自体が山のものとも海のものともわかりませんわ。心のどこかで、ひょっとして眉唾じゃないのかな?なんて気持ちも無きにしも非ずです。
だから女性の写真の中で、確かにお付き合いした人と、まったくそうでない人の写真を混ぜ合わせていました。全然知らないというのではなく、会社でただ同じだったとか、あまり関係自体が深くない知人みたいな人も入れていたのです。
何か儀式めいたことで、厳かにリーディングなるものはして貰えるのかとイメージしてたのですが、これがまたまた至極簡単なのですわ。
「どなたから見ましょうか?」
と、聞かれて「お願いします」と写真を手渡せば、数秒間じーと見てるかと思えば、その人と出会った時代と僕との関係をスラスラと言ってくれます。「ハイお次」みたいにどんどんと。
当然、これまで付き合ってきた人との関係は過去世でも深く関わっている事がわかりました。そして故意にいじわるで入れた今世での関係が薄い人の写真になった時は「この人とは、道端ですれ違ったくらいの関係よ」みたいに言うではないですか!
聞けば聞くほど「はぁ???ッ」と感心することばかり。
そして一枚の集合写真を見入った時、一人の僕の男友達を指差して「あ、この人は昔ピアニストだったんだわ」と、僕が聞きもしないのにMさんは言いました。
そうです、その男友達というのは今プロのバンドでドラムをしているのです。学生時代から音楽が好きで、その道へ行ったのでした。だから、リーディングは万事こんな調子で過去世と現世が不思議とオーバーラップするのです。
全然今とちぐはぐな、みたいな事がない。ただ単純に「不思議だなあ」という感想を抱いたのを覚えております。
そしてその時のリーディングで判明した一番のことは、、、
僕がお付き合いしてきた女性の多くは、昔の僕の周囲で僕のことを大変お世話してくれた女性が多かったということです。
「よ?これだけ女官を集めたね」
と、Mさんは数十枚の女性の写真を眺めながら、笑顔で僕に言ったものです。しかし、そう言われれば合点するところは多くあります。
僕と付き合ってくれた女性はみんなとにかく出来た女性が多かった。だからよく友達から「お前みたいな男に、あんな出来た女性が付き合ってくれたな」と、言われ続けたものです。
そして僕が付き合う女性には、今でも不思議な法則があるのです。
それは、付き合いを変わる時に、前後する女性たちはすべてなんらかの形で知り合いだったり友達だったりして、話をする関係であるのです。関係がない人は、これまでの人に興味を持ちわざわざ会ったりしているのです。(僕がマヌケにも二人の記念写真を撮影したこともあります)不思議と言えば、不思議でしょ。
修羅場となって、揉めたりしたことや金銭を取られたことも一度もありません。
僕はそれをとても不思議に思っていたのですが、女官と判った時に僕の疑問は晴れたのです。
そうか、それぞれが引継ぎをしてくれてたんだ、と。
僕は知ってる人は知ってると思いますが、多くの人に言わば"縁"を与える仕事をしています。それは僕が望もうが、そうでなかろうが気がつけばそのような仕事をしているのです。
僕の元で、知り合って結婚した人はすでに数を数え切れないほどもいます。そしてその中から生まれた二世もたくさんいるのです。
もし、僕が他の職業かなにかで今のような仕事をしてなかったとした場合、そういう縁もなかったし、生まれるべき命もまた別の形になっていたのかもしれません。
しかし、いつも言ってるように人の"縁"というものは、僕は必然だと思うのです。出会うべくして出会うのです。
それから逆算して考えれば、僕が人に与える"縁"を作る仕事をしているのも、言ってみれば必然になるのです。
これまで付き合ってくれた女性達は、そんな対大勢相手に仕事する僕を次々とサポートしてくれてた人なんです。
特に5年近く一緒に暮らした女性は、女官頭だったんだって。それも言われたら頷けるような気がします。
人生のひとつひとつの"縁"は、ジクソーパズルで言えばひとつのピースにしか過ぎません。それを丹念に結びつけていくことで、ある絵が見える時があります。また必要でないピースはひとつも含まれていません。
人が人を好きになる。
そのどうしても理由がつかない恋する感情は、自分にとって必要な関わりがある人だから、という心からのメッセージなのです。
互いの人生にとって、何らかの役割を果たす大事な関係がある。
だから無性に心が惹かれたりするのです。
僕は、人を好きになるという気持ちは自分の経験からそういう風に理解しています。これが絶対正しいという考え方ではもちろんありませんが。
だから大切なことは、好きだからという闇雲な感情に翻弄されることではなく、なぜその人を好きになったのかという正しい理由(意味)を知ることです。
絶対にその理由(意味)はあります。
そしてその理由を知った時、誤った溺愛や嫉妬などという下等な感情に左右されることなく、感謝の気持ちが相手に湧いてくることでしょう。
そういうものが、僕が言う「見えないものを見る」ということなんですね。
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あれから何年たったのでしょう?
江国さんを創った、あらゆるもの



