牛の恋愛コラム:カテゴリー
執着心を捨て去る方法
禅問答みたいなタイトルになってしまった。
恋愛においてギラギラする人の「ギラギラ」血走っているのを取り去る方法を書きます。
ギラギラとはその人の欲望が丸出しになって出ている状態のことです。別に恋愛に限ったことではありません。お金に執着する人もいるし、物に執着する人もいます。
執着心が悪いと言っているのではないんですよ。
執着心、強い欲望というのは人間である限りみんな持っているはずです。人間の欲望は科学や文化の発達にはなくてはならない物だったからね。
執着心や欲望もいいように利用されたらいいのですが、強すぎて相手や周囲にマイナスの結果となるような執着心や欲望というのはダメだということです。
執着心や欲望というのは、押さえつけたらダメです。
解放しなくてはならないものなのです。今回はちょっと内容が難しいかもしれません。頭が痛くなった人は無理に読まぬように。
執着心をなくす方法は、執着しているモノを一旦手に入れることです。そうすれば満足感により、そのものに執着していた心は消えます。ものすごく簡単なことでしょ。言われてみれば。
ここは恋愛がテーマなので恋愛ごとに絞ってお話します。
若い男性で女性からよく言われる言葉に、「あの人には引いてしまう」「ガツガツしている」「ギラギラし過ぎ」等々。。。それはその男性の女性への執着心が、あからさまに出たからです。俗に言う「余裕がない」ということです。
逆に歳を重ねた男性は、「包容力がある」なんて言われたりします。それは余裕があるということです。余裕は経験からしか生まれません。
僕がいつも言っていることに、とにかく20代はいろんな経験をしろということです。30代でもまだまだ経験すればいい。どんなこともね。良い経験は恋愛でも、仕事でも自分の本当の力になります。それも中途半端にするのではなく、徹底的にすることをお勧めします。
恋愛も若いときに徹底的にする方がいい。そうすればその物の本質というものが見えてくる。徹底的というのは数もそうですが、内容を気の済むまですることが大事です。
僕は二十歳の頃、世間で俗に言う「ヒモ」という生活をしていました。まあ、あまり普通では自慢出来ることには言われていませんが、僕の中では今思えばこの経験はとても大きかった。
相手はクラブ勤めの真面目な水商売の女性でした。典型的な「ヒモ」ですな。
この時の僕はプロの脚本家を目指してましたので、暇があれば一丁前に原稿なんかを書く真似をしてました。その彼女も真面目だったので、僕の言葉を信用して「プロになるまでは私が食べさせてあげるから」なんて、どっかのドラマみたいでしょ。
昼過ぎくらいに一緒に起きて、飯を食ったりして夕方一緒にマンションを出るんです。そして彼女はお勤めに、僕はパチンコか麻雀を打ちに行きます。絵に描いたような「ヒモの生活」ですね。だから博打もその頃に徹底的にしましたね。
そして時間を見計らって、彼女の仕事がハネる頃に店の前まで迎えに行って一緒に帰って来るわけです。
そういう生活を1年半続けてました。
時間があるもんだから女の子ともHをいっぱいする。若いもんだから、彼女の友達ともやる。見つかって怒られてもする。やってやってやりまくったわけですね。
それを1年半も続けたらどうなるか知ってます?知るわけないですわな。こんなバカなことする人めったにいないから。
どうなるかと言えば、ある日そんな生活が突然嫌になりました。「もういい」と思いました。「仕事がしたい」と強烈に思いました。「こんなことばかりしてたら、俺の脳みそは黄色になって腐ってしまう」と真剣に思いました。
そしてすぐにそういう生活からは足を洗いました。
その時以来でしょうか、もうそんなにその手の遊びをしたいと思わなくなったのは。
僕の中の執着心が以前みたいにはなくなったんでしょうね、この経験で。その手の遊びの底を見たのでしょう。
女の子とも以前みたいに「やりたい、やりたい」とは思わなくなりました。
ファミコンゲームも同じでしょう。出来ないからこそ、何度でもしてしまう。クリアしたゲームをそうそう何回もしたいと思わない。
「お金だけがすべてじゃない」と言う。でもこれがお金を持たない人が言えば、負け惜しみとなる。十分にお金を持っている人が言えば、真実味が出る。そして本当にお金がすべてじゃないことを知ると思う。
執着心を消すには、だから一旦手に入れることしかないんですよ。
失敗してもいいから徹底的に人を好きになって、思いっきり行動をとることでしょう。その時は「ギラギラしてる」と言われるかもしれませんが、それを乗り越えれば、余裕が出て来て上手に出来るから。
お金に対する執着心も同じで、頑張って自分が希望するだけ儲けたらいいと思う。そうすればお金に対する執着心もなくなり、それ以上に大切なもを見つけられるんじゃないかな。(これは経験がないので推測です)
最近とくに傷つくことが恐くて何も出来ない人を多く見る。ヤワな人が多い。カッコつけすぎている人が多い。誰だって傷つくことは恐いよ。
でも経験不足で不格好でもいいから、一生懸命やってる人が好きですね。
よく分からなくても頑張って、一山越した人だけが執着心を解放したり余裕を持てる人になるんじゃないでしょうかねえ。
今回は語り尽くせませんでしたが、僕はそう思います。
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セックスについて(3)
セックスをはじめたばかりの人達や、これからという人達は一番興味があることでしょうね。だって経験がなくて、情報だけはたくさん入るのですからたまったものじゃないでしょう。
若い人はまだ経験がないのだから仕方ありません。
先日もまだ二十歳になるかならいくらいの男の子に、「ラブホテルの入り方を教えて下さい」と聞かれました。
彼にも僕は真面目に答えてあげました。(^^)
入口から入ればフロントと書かれた小さな窓口がある。その向こうに風呂屋の番台のおばちゃんみたいな人がいるから、その窓口に口を近づけて大きな声で二本の指を差し出して「大人二人!」と言えばそれだけでいい、と。
彼は僕に教えて貰った通り、実行して入れたと言ってお礼に来ました。
まあ最初はみんな見よう見まねですからこんなものです。
冗談はさておき。
セックスで必要なものは、やはり僕が常々言っている想像力です。
イマジネーション。
なぜだかみなさんお分かりですか?
それはベッドの上の行為自体は単純なものだからです。相手が変わったからと言って、まるで違うことをするものでもありません。
想像力のない相手とは、すぐに飽きがくるものです。愛情の問題もありますが、行為自体に限定して考えましょう。
でも中には飽きさせない人もいる。男性も女性も。それはおそらくそんな人は、とても想像力豊な人達です。
飽きさせないと言っても四十八手のいくつくらいを覚えたらいいんだ。ということではありません。
ベッドですることと言えば、行為自体とお喋りでしょう。だからここでも会話は大事になってくる。雰囲気を出す会話、相手に想像力を掻き立てるような話し、セックスしたいと思わせるようなHな話しの内容などなど。だから話し上手な人は概ね、セックスは上手なんじゃないかな。男性も女性も。
女性も受け身だからといって、何も勉強しないでいいとは限らない。やはりベッドに入れば、ある程度Hな方が男にとっていいに決ってる。女性のセックス上手というのは、テクニシャンである必要は全然ないのです。男性に想像力を掻き立てるような人を、女性の場合はセックス上手というもんだと思いますよ。ここでもやっぱり想像力だ。
そしてそういうセックスの上手な女性は、えてして料理も上手なんだ。
なぜかと言えば、料理も想像力が大事なものだから。
クッキングブックみて作る料理ならいざしらず、冷蔵庫をひょいと見てあるもので器用に美味しいものを作る女の子がいます。
これが想像力なんですよ。
この材料とこの材料で、どんな味付けをすればこういう感じのモノが出来るだろうっていう。そしてこういう想像力のある子の料理は、きまって美味しいんだ。
経験にもよるけど、想像力豊な子は確かに料理の腕を上げるのも早いよ。
だから僕の中にはこういう公式があるんですよ。
料理の上手な子 = セックスの上手な子 = 頭の良い子(社会的に)という。
まあ、これは僕の経験から思ってることなのでみなさんは当てはまらないかもしれませんけどね。
男性の公式をお持ちの女性の方は、教えて下さい。
参考にしますで、よろしく。
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セックスについて(2)
セックスは、男女のボディーコミニケーションだと思います。
セックスと聞けば、ただストレートな行為だけを想像する方が多いと思いますが、僕はそれだけには考えていません。
セックスとはお互いに触れ合って気持ちが良くなる行為です。だから手を繋いだり、髪を触ったり、腕を組んだりとする行為も含めて考えてもいいと思います。
本当に好きな人となると、座席の隣に座ってくれただけでも妙に嬉しくなったり気持ちが高揚するものです。逆に生理的嫌悪を感じる人は、隣に座られただけでもダメでしょう。
そういう意味で、セックスとはお互いが感じ合う広い部分も考えて行えば、もっともっと楽しいものとなるはずです。
女性の方はとくに分かると思いますが、お互いがベットの上でも直接の行為よりも静かに優しく抱かれている方が安心感を抱くことってありませんか?
好きな人に腕まくらをされて、彼からいろんな話しを聞く時間もそれなりに楽しくはありませんか?
二人で過ごす閉ざされた空間よりも、指を絡ませて自然の中を歩くときも気分が高揚して、その繋ぐ指同士を妙に嬉しく思ったことってないですか?
セックスの直接行為は、セックスという広い範囲の中のほんの一部分だと僕は思います。
でも今は、セックスという事柄が過激に取り扱いされ過ぎて単に嫌らしいものという認識にしかなっていない。非常に寂しいことです。
だからセックスというものは、本来もっともっと創造的なものであり、自由で、けっして陰鬱なものじゃない。と思います。
男女の最高に楽しいコミニケーションのひとつですからね。
コミニケーションなのだから、会話と同じように学べる部分がある。「会話教室」みたいなものもあるのだから、「セックス教室」みたいなものがあっても本来不思議じゃないんだ。
でも秘め事という、ニュアンスもあるのであまりにも公にするのも問題ですが、適切な部分はもっとフランクに扱ってもいい大切な男女の分野だと思います。
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セックスについて(1)
セックスについて最近とくに感じることは、男性がヘタクソになってきているのではないか。ということです。
別にアンケート調査をしたわけではありません。
厳密にはヘタクソになってきたというより、上手になろうと切磋琢磨している若い男性が少なくなってきているような気がします。
僕の初体験は19才の時です。けっして早い経験ではないですね。(高校時代は野球に明け暮れてましたので、とんと縁がなかった)
相手は幸運にも当時好きな女の子でした。でも最初なので、緊張したのと頭の知識しかなかったので全然ダメでしたね。カッコ悪かったぜよ。今から思えば。
これではダメだと思って、努力しましたよ。僕なりに懸命に。上手になる手始めは、まずは聞くことです。そして実践あるのみ。そう思えば、すぐに行動するのが私の習性)。聞いて一番よく分かる相手は女性です。でも好きな女の子や友人の女の子に聞けるわけはありゃしません。
それ以来、風俗通いがはじまりました。
それは自分の快感を求めに行ったのではなく、セックスというものを女性の側から適切に実技を兼ねて学びに行ったという時期です。
「教えて下さい」と年上のお姉さんに事情を話して、指導を頂くわけですよ。姉御肌のお姉さんなんか「よし、私に任せとき。男にしてあげるわ!」とそりゃ徹底的にこと細かくご指導して下さったお姉さんもいました。涙が出る程に。
気持ちよくなる側に「ああだ、こうだ。そこじゃない」と具体的に教えて貰うわけだから、これ以上正しいことはない。
しかしこの時の授業料は高くつきましたわ。給料だけじゃ追いつきません。若いときだから給料だってたかがしれている。だから卒業する頃には、とてつもない授業料をあちこちに借入してました。
でもね、今から思えば僕がとった学びの方法は正しかったと思ってます。そういうことを素直に教えて貰うにはやっぱり若造の時にしか出来ない。
野球で言えば我流ではなく、指導の上手い正しいコーチについて基本的な素振りからはじめて、きちんとしたフォームが身についたと思っています。
僕がそういう手段をとったのは、僕が好きな作家・故人吉行淳之介のエッセーを読んでいたからです。そのエッセーの中には、昔の若者という者はみんな赤線・青線などの女性からセックスというものを教わっていた。そして教わった男性は自分が関係を持つ女性にセックスというものを教えてあげるのが自然な成り行きだった。みたいなことが書いてあった。
至極当然、成る程と思っていたからすぐに実行に移したのですな。
考えれば単純。
赤線は昭和33年3月にて、風俗営業法のため廃止になりました。
まあそれに変わってトルコだとかソープになったのですが、吉行淳之介が語っていた赤線があった頃の風俗通いと今の男性の風俗通いでは質が全然違うのです。
昔はそこに厳かな技術の継承みたいな匂いがあった。女性からセックスを学ばせて貰うという感じがあった。でも今のファンションヘルスなんかは、手軽に性欲を吐きに行くという感じだ。
そこには向上心があるかないかという大きな違いがある。
アダルトビデオで育ち、受け身だけで性欲を晴らすことに慣れ親しんでいるふやけた男に女性を本当に喜ばすことなんてまず無理だろう。
女性との営みも、ヘタするとファッションヘルスの延長線上に考えている輩もいるかもしれない。
本当に親しくなった男女にはセックスというのはつきものであり、とても大切なものです。
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他人の家の訪問はまず玄関から
表題でなんのこっちゃ?と思われるかもしれませんが今回のテーマはこれです。
パーティーでよく初対面の人と話すのは苦手だと言われる方が多くいます。また逆に初対面の人とでもなんら抵抗なく喋れる人もいます。
今回の表題は初対面の人と話すときのコツです。
初対面の人が多いパーティーなどで、まず話しかけるのは男性の役目です。女性はまずは話掛けられる側です。まあこれは古今東西、そんなもんでしょう。でも最近では、どうも傾向が逆になってる場合もありますが、それは女性が黙り込む男性に痺れを切らして仕方なく話掛けているようです。それではほんまはあかんがな。
女性が男性に話掛けられるとき、その相手により受ける印象はもちろんまちまちでしょう。感じの良い人や、「どうもこの人なあ」みたいな人もいる。酷いときには嫌というサインを露骨に出して、お尻を向けられている人もいる。
この違いはなんでしょう。
もちろん外見的なこともありますが、その多くは話し方です。言ってみれば早くその人と親しくなれるコツみたいなものです。序奏ですな。
人は誰でもまったく他人に心を閉ざしている人はよほどでないといません。ましてやパーティーの席に参加する人は、むしろ積極的に親睦を求めているはずなので、心はかなり間口を広げている状態なのです。
オープン・ザ・ハートな状態。
が、しかし!
なのです。そこに大きな落とし穴がある。
かなり心を開いているからといって、あけすけになんでもかんでもその人の中に立ち入って良いというものではないのです。親しくなるというのはその人のボーダーラインの中に入らせてもらうことです。心の中に入らせてもらうことなのです。
表題に「家」を例えて書いていますが、まさしくこれは他人の家に入らせてもらうことによく似ています。
家は出入りするところなので、必ず玄関口というものがあります。普通はじめての人の家を訪問するとき、まずは家の前に立ち呼び鈴を鳴らしてその家の人の応対を待つでしょう。そして「どうぞお入り下さい」との返事を待って、「お邪魔します」と玄関のドアを開けて入って行く。それが常識ある他人の家への訪問の仕方です。
人もこれと同じなのです。
誰でも自分の中に入ってきても良い、心の玄関を持っているのです。でもそれは家と同じように、みんながみんな同じ作りではありません。南東の角に玄関がある人、南の中央にデンと玄関を構えている人とまちまちです。
初対面の人と親しくなるには、その人の心の玄関口がまずどこにあるのかを確認しなければなりません。
知らない人が勝手口から親し気に入ってきたら、あなたはきっと驚くでしょう。窓から身を乗り越えて入ってきたら恐怖を覚えることでしょう。
「私に近づくには、まずはここから入って来てね」という生理的窓口があるのです。とくに女性の多くの方は。
それを間違えて入っていくと、全然ダメ。「あの人、生理的にイヤ!」となります。
これは入っていく場所を完全に間違えているからなのです。
少々乱暴や、キツイ冗談を言う人でもこの入り口を間違えていなければこれが全然OKになるわけですな。接するときにはこれが大切ですね。
女性に限らず、この心の入口はもちろん男性にだってあります。お間違いなく。
下ネタだってこの手順を踏めば、楽しいものとなりますよ。誰だってH系はみんな興味があることなのでね。
下ネタ自体が下品だとか嫌らしいんじゃなく、その話しをする人が問題なわけですね。話す人により同じ下ネタだって単なる顔をしかめる卑猥な話しにもなるし、爆笑する楽しい話しにもなるんです。
今回のポイントは、人には入って来てもよい心の入り口があり、まだ親しくない間柄の時は必ず用意された入口から入ってあげましょうということです。
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