異人たちとの夏
ここ数日前、お袋の住職である伯父と話してました。
話している時に、おもしろいことをその伯父さんが言ったのを忘れられず、お盆という時節柄色々と思い出すことがありました。
「お盆だからマサヒコのところへ行ったのに、帰ってきたらもうマサヒコの方が先に帰ってきていた」
横でお袋は「はぁ??」みたいな顔して全然意味不明でしたが、僕は伯父さんが何を言ってるのかすぐに判りました。
マサヒコというのは、伯父さんと僕のお袋の弟にあたる人です。が、すでに故人となっております。マサヒコのところに行って来た、というのはお墓参りに行って来たということで、墓参りに行ったら自分よりも先に家にマサヒコさんが帰ってきていた、という意味なのです。
お盆というのは、ご先祖さまの霊が帰って来られるお祭りなのですね。
こういう風に書けば、お盆とは昔の人が作った故人たちを懐かしむためのひとつの風習なんだと思われる方が多いと多いと思います。僕も昔はそう思っておりました。
でも物書きをしていた頃、こういう不思議なことを色々と取材したり研究することがあり、単なる絵空事を風習にしたんじゃなく、実際に人が体験したり経験したりしたことから出来たイベントなんだということが判ったのです。
以前僕と一緒に仕事をしていた まさこ なるのがおりまして。僕の周囲を知る人は知るで、ご存知だと思いますが、彼女にはとくに強い霊能力がありました。
そのまさこも、お盆やお彼岸になると冒頭で僕の伯父が言ったのと、同じようなことを言っておりました。
「みんなお盆や、お彼岸になるとお墓参りに行くけど、お墓はからっぽで留守やから意味ないで」と。はじめはこやつ何をほざいているのか、と思っておりましたが、その意味を聞いたりお盆という歴史を調べればなるほど合点がいくのです。
お盆ミニ知識を言いますと、、、
13日の夕方か夜にお墓に参り、祖先の霊を迎えます。これを[精霊迎え]と言います。この時に霊が迷わず帰ってこられるように焚くのが[迎え火]です。地方によってはお墓からの道筋に、たくさんの松明を灯す所もあります。そして、16日は送り盆です。この日に、お盆の間一緒にすごした祖先の霊を送り出すことを[精霊送り]と言います。この時に[送り火]を焚くことも広く行われています。京都の[大文字焼き]も送り火の一つなのです。
ご先祖の霊というのは、だからお盆の間は帰ってきているのです。
実際まさこは、霊視が出来るので、家にいる祖父の姿をその間は見かけたと言っておりました。家にいる時は、人間同様ソファに座ったりウロウロしているようです。(笑)
そして、霊能力のあるまさこには、何かと話しかけてきたそうです。それは、家族のためになるアドバイスや、親戚縁者で危険な事が起こる場合のアドバイスが多かったそうです。
では、すべての先祖の人の霊が帰ってくるのか、とえばそうでもないようです。霊というのはこの世に姿を見せるには、とてもエネルギーを使うそうです。ですから、まだまだそういうエネルギーを持ち合わせていない霊は、帰って来れないのかも知れませんね。
お盆のこんな里帰りを考えていたら、以前見た「異人たちとの夏」という映画を思い出します。
風間杜夫扮する若者が異空間に迷い込み若くして死んだ両親(父・片岡鶴太郎、母・秋吉久美子)と、ひと夏だけ再会して生活をする浅草を舞台にしたストーリー仕立ての映画です。1988年のキネマ旬報の第3位にランクした名作ですね。
監督は、大林宣彦。
この大林宣彦という監督は、僕的に思うにとにかく日本というものを描ける一番素晴らしい監督だと思っています。
「異人たちとの夏」でもすごく感じることなのですが、全編に日本の匂いをすごく敏感に醸し出しているのです。舞台は浅草であり関西とはまた違う土地柄なのですが、そういうことを通り越して、誰でも持っている日本の懐かしさ、日本という土壌から誰もが経験したと思える匂いやリズムを描き、表現しています。
単なる経験や体験ではなく、DNAに刻み込まれた日本人としての感覚を触発するのだと僕は思うのです。
それはこの大林監督という人は、絶対に「見えざるものが見える」人だからだと思うのです。そうでないと、こんな表現は出来ないよ。
ミーン、ミーンと鳴く蝉に汗の滴る縁側で、ステテコ姿の親父が団扇を使いながらなにやらガーガー言っている。その横では浴衣姿の妻が、そのガナリ声を気にすることなく家事をこなしている。親父、片岡鶴太郎。妻、秋吉久美子。
そこに都会で洗練された息子の、風間杜夫がフラリと帰って来る。でもそこは、現実から離れた黄泉の世界。
浅草のすき焼の場面は、どこの家庭でも経験したような親子の会話が身に沁みて泣ける。
日本人を改めて感じる名画を、この夏にぜひどうぞ。
異人たちとの夏
風間杜夫 秋吉久美子 片岡鶴太郎

話している時に、おもしろいことをその伯父さんが言ったのを忘れられず、お盆という時節柄色々と思い出すことがありました。
「お盆だからマサヒコのところへ行ったのに、帰ってきたらもうマサヒコの方が先に帰ってきていた」
横でお袋は「はぁ??」みたいな顔して全然意味不明でしたが、僕は伯父さんが何を言ってるのかすぐに判りました。
マサヒコというのは、伯父さんと僕のお袋の弟にあたる人です。が、すでに故人となっております。マサヒコのところに行って来た、というのはお墓参りに行って来たということで、墓参りに行ったら自分よりも先に家にマサヒコさんが帰ってきていた、という意味なのです。
お盆というのは、ご先祖さまの霊が帰って来られるお祭りなのですね。
こういう風に書けば、お盆とは昔の人が作った故人たちを懐かしむためのひとつの風習なんだと思われる方が多いと多いと思います。僕も昔はそう思っておりました。
でも物書きをしていた頃、こういう不思議なことを色々と取材したり研究することがあり、単なる絵空事を風習にしたんじゃなく、実際に人が体験したり経験したりしたことから出来たイベントなんだということが判ったのです。
以前僕と一緒に仕事をしていた まさこ なるのがおりまして。僕の周囲を知る人は知るで、ご存知だと思いますが、彼女にはとくに強い霊能力がありました。
そのまさこも、お盆やお彼岸になると冒頭で僕の伯父が言ったのと、同じようなことを言っておりました。
「みんなお盆や、お彼岸になるとお墓参りに行くけど、お墓はからっぽで留守やから意味ないで」と。はじめはこやつ何をほざいているのか、と思っておりましたが、その意味を聞いたりお盆という歴史を調べればなるほど合点がいくのです。
お盆ミニ知識を言いますと、、、
13日の夕方か夜にお墓に参り、祖先の霊を迎えます。これを[精霊迎え]と言います。この時に霊が迷わず帰ってこられるように焚くのが[迎え火]です。地方によってはお墓からの道筋に、たくさんの松明を灯す所もあります。そして、16日は送り盆です。この日に、お盆の間一緒にすごした祖先の霊を送り出すことを[精霊送り]と言います。この時に[送り火]を焚くことも広く行われています。京都の[大文字焼き]も送り火の一つなのです。
ご先祖の霊というのは、だからお盆の間は帰ってきているのです。
実際まさこは、霊視が出来るので、家にいる祖父の姿をその間は見かけたと言っておりました。家にいる時は、人間同様ソファに座ったりウロウロしているようです。(笑)
そして、霊能力のあるまさこには、何かと話しかけてきたそうです。それは、家族のためになるアドバイスや、親戚縁者で危険な事が起こる場合のアドバイスが多かったそうです。
では、すべての先祖の人の霊が帰ってくるのか、とえばそうでもないようです。霊というのはこの世に姿を見せるには、とてもエネルギーを使うそうです。ですから、まだまだそういうエネルギーを持ち合わせていない霊は、帰って来れないのかも知れませんね。
お盆のこんな里帰りを考えていたら、以前見た「異人たちとの夏」という映画を思い出します。
風間杜夫扮する若者が異空間に迷い込み若くして死んだ両親(父・片岡鶴太郎、母・秋吉久美子)と、ひと夏だけ再会して生活をする浅草を舞台にしたストーリー仕立ての映画です。1988年のキネマ旬報の第3位にランクした名作ですね。
監督は、大林宣彦。
この大林宣彦という監督は、僕的に思うにとにかく日本というものを描ける一番素晴らしい監督だと思っています。
「異人たちとの夏」でもすごく感じることなのですが、全編に日本の匂いをすごく敏感に醸し出しているのです。舞台は浅草であり関西とはまた違う土地柄なのですが、そういうことを通り越して、誰でも持っている日本の懐かしさ、日本という土壌から誰もが経験したと思える匂いやリズムを描き、表現しています。
単なる経験や体験ではなく、DNAに刻み込まれた日本人としての感覚を触発するのだと僕は思うのです。
それはこの大林監督という人は、絶対に「見えざるものが見える」人だからだと思うのです。そうでないと、こんな表現は出来ないよ。
ミーン、ミーンと鳴く蝉に汗の滴る縁側で、ステテコ姿の親父が団扇を使いながらなにやらガーガー言っている。その横では浴衣姿の妻が、そのガナリ声を気にすることなく家事をこなしている。親父、片岡鶴太郎。妻、秋吉久美子。
そこに都会で洗練された息子の、風間杜夫がフラリと帰って来る。でもそこは、現実から離れた黄泉の世界。
浅草のすき焼の場面は、どこの家庭でも経験したような親子の会話が身に沁みて泣ける。
日本人を改めて感じる名画を、この夏にぜひどうぞ。
異人たちとの夏
風間杜夫 秋吉久美子 片岡鶴太郎
